2010年5月12日
オリバー・クロムウェル
イングランド東部・ハンティンドン州のピューリタンでありジェントリ階級の地主の家庭に生まれる。大伯父にヘンリー8世の元で「行政革命」を実施した政治家トマス・クロムウェルを持つ名家であった。ケンブリッジ大学で学び、1628年に庶民院議員となる。1629年の議会解散後、また故郷に帰って治安判事となり、1631年に土地を売ってセント・アイヴズに移り、牧場を経営したが、1638年エリーに移った。
クロムウェルは1640年の短期議会及び長期議会にはケンブリジから選出された。清教徒革命では議会派に属し、鉄騎隊を指揮してエッジヒルの戦いやマーストン・ムーアの戦いで活躍し、議会派が鉄騎隊をモデルに組織した新型軍の副司令官となり、ネイズビーの戦いで国王チャールズ1世をスコットランドに追い、議会派を勝利に導いた。内乱の終結後議会は軍の解散を求めるが、クロムウェルは議会派の中でも国王との妥協を赦さない独立派に属し、妥協を求める長老派と対立しており、長老派を追放したクロムウェルは独立派議員による議会を主導、1648年に再び決起したチャールズ1世を処刑し、1649年5月に共和国(コモンウェルス)を成立させた。
共和国の指導者となったクロムウェルは、急進的な水平派を弾圧、中産市民の権益を擁護する姿勢を取るようになる。重商主義に基づいた政策を示し、同時に貴族や教会から没収した土地の再分配を行った。
カトリックのアイルランドやスコットランドは1649年から1651年にかけて反議会派の拠点であった。クロムウェルは総司令官兼総督に任ぜられて侵攻を始め、1649年ダブリンに上陸、続いてドラハダ、ウェックスフォードを攻め、各地で住民の虐殺を行う。アイルランドはクロムウェルの征服により、以後はイングランドの植民地的性格が強い土地となる。1650年の後は後事をアイアトンに託して帰英し、チャールズ1世の皇太子チャールズがスコットランドに上陸したのを討つため、7月フェアファックスにかわり総司令官としてスコットランドに遠征した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
オリバー・クロムウェルはイングランドの初代護国卿です。
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